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[たまヒストリー] 第一回 ~神社の祭神~
2005年07月09日 (土) | 編集 |
記事:NAGAMAN

神社ってなんとなく お寺よりもミステリアスですよね。 まず祭られている神様が、どのような神様なのかあまり良くわからない。わからないっていうのが一番ミステリアス性に貢献していると思います。そして社の周辺も薄暗い森がザワザワしていて、何か得体の知れないものが現れそうな雰囲気です。 普通に暮らしていると見慣れない巨木が幾つも威厳をもって立ち並び、私たちを小人のように見下ろしていて、シーンと静まり返った境内は蝉の声だけが耳にささやき、自然の力が全身に入ってくるような気分に陥ります。 そして周辺の地域とは異なった空間に 「絶対何かいる・・」 
そう思わせてしまう空間の力はやはり神秘的な力を感じて止みません。
そんなこわさが何故か病みつきになってしまう。 みなさんも子供の頃に神社という異空間に神秘的なこわさを感じませんでしたか? 今回はそんな神社の祭神を調べてみようという記事を書きたいと思います。




神社の神様って みなさん見たことありますか?
ほとんどの人が見たことはないと思います。というのは神様を現した偶像物が無いからです。 つまり信仰の対象となる像となるものが無い。これは偶像崇拝を禁止しているイスラム教に近いかも知れません。 神社にご神体としてよく祭られているものは“鏡”です。
何故“鏡”なのかというと、神は自分の心の中にいるからだそうです。(不確認)
 今回は東京都千代田区にある神田明神の祭神について調べました。






神田明神
社伝によると天平2年(730)創建とあり、1,270年以上の長い歴史を有する神社として知られています。創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町にあったそうです。やがて天慶の乱(939~940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、付近の住民は窮していました。それを知った時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、延慶2年(1309)には将門公を祭神として合祀しました。
時移り徳川家康が江戸に幕府を開くと、将門公を深く尊崇して当社に神領を寄進しました。幕府発展による江戸の大規模な造成のため、元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地(千代田区外神田)に移転し、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれました。
資料:神田明神HPより



~神田明神の祭神~


?大己貴命(オオナムチノミコト)





別名 大国主命(オオクニヌシノミコト)
簡単に言うと、古代日本に渡来人が渡ってくる前の日本を平定し、まとめていた大王。
しかし※高天原という天上世界の神々から、国を譲れというように言われる。天上世界の神々は協議の末、使者を送ってオオクニヌシをはじめとする国神(くにつかみ)を説得し、国を譲るよう迫った。しかし、1度目も2度目も失敗に終わったため、残る手段は強談判しかないと、武勇の誉れ高い建御雷之男神(タケミカズチノカミ)を遣わした。 
 タケミカズチは出雲の稲佐の浜に降り立ち、剣を逆さまに突き立て、その切っ先の上にあぐらをかいて、オオクニヌシに国を譲るよう迫った。これに対しオオクニヌシは返事を渋ったが、その息子の事代主神(コトシロヌシノカミ)は異存はないと国譲りを承知し、身を隠してしまった。もう1人の息子建御名方神(タケミナカタノカミ)は承服せず戦いを挑んだが、あえなく敗れて諏訪まで逃げ降参した。こうなるとオオクニヌシも否応もなく承知したが、代償としてこの出雲の地に天に届くばかりの立派な御殿を造り、自分の住みかにすることを承諾させた。これが現在の出雲大社のもとであるという。
大国に二人も大王はいらない。たぶん私の想像であるが実際はオオクニヌシは出雲大社に幽閉されたか、天上世界の神たちに殺されてしまったのだろう。
※高天原は邪馬台国ではないかという説がある。邪馬台国の場所は九州が有力。


?少彦名命(スクナヒコナノミコト)




オオクニヌシノミコトと共に国づくりに協力した神。身長はとても小さく、ファンタジーに出てくる小人なみ。ユニークなのは海から船で、蛾の皮の衣を着てやって来たという。 医療・酒の神・呪術の神として祀られている。



小人がさまざまな技術をもっているという、世界共通の伝説である。国造りを終えたあとは、スクナビコナは粟の茎にはじかれて、海の彼方にあるとされている常世(死者の国)の国に去って行ったという。
一説にはスクナビコナは知恵の神であり、一説にはスクナビコナは中国古代の強力な方士(幻術士)だったともいわれ、特に医療、医薬の知識は非常に優れたものだったという。


?平将門命(タイラノマサカドノミコト)




平将門(たいらのまさかど、延喜3年(903年)? - 天慶3年2月14日(940年3月25日))は、平安時代中期の武将である。通称は小次郎。
桓武天皇の子孫で、平氏の姓を授けられた、高望王(たかもちおう)の孫。鎮守府将軍平良将(平良將)(たいらのよしまさ)の子。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争に端を発し、関東諸国の国庁を襲ったことから朝廷から討伐される。神田明神に祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。 
将門の首塚は東京大手町にあるものが有名だが、ここは本来、昔の国税庁の中にあったのだが関東大震災の際に壊れてので移転されたのだという。将門の首は討ち取られた時に京都へ塩漬けにされて運ばれ三条河原でさらし首にされたが、その首が笑いながら空を飛んでいったという伝説が日本各地に残されている。







名古屋、岐阜などにその伝説があるが、最も著名なのは東京国税庁の内部なのだ。これは事実がどうだということではなく、かつての将門の起こした反乱がどれだけ全国を震撼させたのかということが分かる証拠である。実際、将門の祟りで死んだ藤原家の嫡男の逸話、死後の影響の話は枚挙がつきない。関東大震災後、大蔵省が大手町に仮庁舎を建てた時、首塚をぞんざいに扱った祟りで、時の大蔵大臣以下、関係者十名が次々と急死している。また、終戦後、GHQが「首塚」を撤去しようとしたが、ブルドーザーが横転して運転していた日本人が死ぬなど怪奇現象が続発し、遂に、撤去を断念したというエピソードが残されている。



なんと、日本を木っ端微塵に打ち破ったアメリカ人にまで祟りを及ぼすとは…。将門の怨霊もただ者ではない。






私が将門の胴塚(茨城県)に行ったことがあるのだが、なかなか神秘的な場所であった。
巨木が立ち並び、風化した赤い帽子をした地蔵たちがなんとも不気味であった。夜は絶対ここに来れない。





神田明神に祭られていた将門は、江戸時代の時に江戸城の鬼門(北東)に移され桃山風の豪華な社殿を寄進されている。歴代徳川将軍の崇敬も厚く、「江戸総鎮守」として江戸の庶民にも親しまれたそうだ。しかし幕末から明治維新の時代に入ると天皇の時代となり、朝廷の逆賊である将門は、「畏れ多くも大日本帝国を万世一系に統治する天皇陛下が参拝する神田明神の主祭神が、こともあろうに朝敵平将門とはけしからん!」ということで神田明神の裏の末社へ移されたらしい。将門が無事、神田神社の主祭神に返り咲くのは、なんとそれから百年以上も経過した1984(昭和59)であった。
死んでからも大変な将門である。






このように近隣の神社も祭りの時にだけいってお参りするのではなく、神社の持つ意味、そこに祭られている神様を調べてみるのも面白いかもしれない。 祭神にもちゃんとした物語があり、人間性に富んでいる。 平将門は実際の人物だが、オオクニヌシノミコト・スクナヒコナノミコトは神話の登場人物であるけれど、モデルがいたのだろう。
そういう意味で思いを巡らせればなんとも面白く 魅力的な世界なのだろうか。
歴史浪漫を紐解いて、みなさんも近くの神社に足を運んではどうだろうか?

記事:NAGAMAN

資料:神田明神ホームページ(http://www.kandamyoujin.or.jp/)
フリー百科事典ウィキペディア
   平将門伝説
   日本の神々(http://www5a.biglobe.ne.jp/~ikeike/sub1-2-1.htm)
コメント
この記事へのコメント
NAGAMAN、勉強になりました!ありがとうございました!
2005/07/20(Wed) 01:17 | URL  | hijikata #79D/WHSg[ 編集]
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