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[たまステ] 第5回 そうだ!!京都へ行こう
2005年06月22日 (水) | 編集 |
前期も半分を過ぎた今日この頃
そろそろ、夏の旅行の計画を立て始めている人もいるのではないかと思う
そんな、あなたにお勧めするのが今年の大河ドラマ義経の舞台でもあり
今、最も熱い注目を浴びている、歴史の都京都である

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↑京都駅前

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↑京都タワー

そこで去年の夏、京都に行った時のエピソードをお伝えしよう
何故、京都に行ったか言うと去年の大河ドラマが新撰組だったからである
(ドラマの影響かなり受けていました)
一緒に旅行に行ったメンバーはフットサルチームジャスティスのメンバー4人である
(ちなみにジャスティスとは年2回ぐらいしか活動しない、フットサルチームである・・・ユニホーム代の1万返せと最近、思っている)

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↑ジャスティスの3羽カラス(この頃が一番、燃えていた。しかし今やチーム存続の危機にすらある・・・)
話がだいぶ、それてしまったが僕らが京都に着いてまず一番、最初に行った場所が西本願寺である

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慶応元年三月十日、新撰組は、それまでの「壬生の屯所」が隊士の増加で
手狭になったことを理由に、西本願寺の北集会所に屯所を移した。
北集会所と阿弥陀堂の建物の間に竹矢来で仕切り、大広間を小部屋に区画し、湯殿から牢屋まで設置した。
この西本願寺の新撰組屯所では、百人あまりの隊士が寝起きし、剣術や鉄砲の訓練を2年間行っている。
現在、西本願寺には、「この北集会所はない。」

この後、一日目は観光をあまりせず、駅周辺をブラブラしていた・・・(京都に来たのは中学の修学旅行以来だったのでなつかしかった)

二日目、最初はレンターカーで移動しようと思っていたが
道が混んでいるし駐車場を探すのも大変だから自転車の方がいいと旅館の人にアドバイスをもらった僕らは自転車をレンタルする事にした
しかしこの時は、まだ何も知らなかった・・・ とてつもない困難が待っていることを・・・

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↑途中で雨が降ってきた

まず、最初に向かったのは八木邸である
ここは新撰組局長だった芹沢鴨が暗殺された場所である、今でも柱や鴨居に刀傷が残っている。
ちなみに現在でも住居として使われているらしい。

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↑ここでお茶とお菓子を食べた

次に向かったのが八木邸側の壬生寺である

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ここには、新選組局長・近藤 勇の胸像と遺髪塔、 新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎の墓、
勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓がある
壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行なわれていたらしい

新撰組隊士の紹介
慶応元年(1865年)
局長 近藤 勇一番隊 沖田 総司六番隊 井上 源三郎諸士調役兼監察 山崎烝
参謀 伊藤甲子太郎二番隊 永倉 新八七番隊 谷 三十朗
総長 山南 敬助三番隊 斉藤 一八番隊 藤堂 平助
副長 土方 歳三四番隊 松原 忠司九番隊 鈴木 三樹三郎
五番隊 武田 観柳斎十番隊 原田 佐之助


壬生寺を後にした僕らは、ひたすら自転車をこぎつづけて数時間、僕らは嵐山へと着いた
嵐山とは一般に大堰川にかかる渡月橋を中心にした地域の事である。

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ここでお昼を食べた記憶がある、確かカツ丼だったような気がする(ちょっと高かった記憶がある)あと抹茶アイス←これは美味しかったから覚えている
でも、この時点で相当疲れていた(正直、車の方が絶対に良かったと心の中で思っていた)
ここから、さらに数時間、キツイ坂道などを上り体力も限界に達した頃にようやく着いたのが竜案寺である

竜案寺

宝徳2年(1450)室町幕府官領細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて寺地とし、
妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものであり、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号した禅苑の名刹である。
応仁の乱で焼失して、長享2年(1488)勝元の子政元が再興したが、
寛政9年(1797)火災で方丈・仏殿・開山堂を焼失したため西源院方丈を移築した。

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枯山水の石庭

竜安寺の石庭は、木や草はいっさい用いず15個の石と白砂だけで形作られている。
不要なものを省いた簡潔美の極致といえ、禅の精神の表現ともいわれているらしい
(確かに綺麗な庭だった、手入れが大変そう)

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↑つくばい
このつくばいは水戸光圀公の寄進によるものと伝えられている。

この頃の僕らは既に体力の限界だった・・・みんな殆ど会話が無かった
しかし最後に金閣寺は絶対に見たいって事で最後の力を振り絞って自転車をこいだ
そしてようやく辿り着いた金閣寺

金閣寺

応永4年(1397)、足利義満が築いた山荘北山殿を義満の死後、義持が禅寺にしたもの。
金閣は3層の桜閣で、初層が藤原期の寝殿造、第2層が鎌倉期の武家造、
第3層が唐様式仏間と各時代の様式を独創的に折衷させている。
最初の金閣は、昭和25年、同寺の一僧の放火により全焼した。
昭和30年に復元され、62年には金箔の張直しも行われている。

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中学の時も来たのでその頃の記憶が蘇り妙に懐かしく思え感動した

竜門滝

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この滝は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので、
龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石(リギョセキ)が置かれており
いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されている。

2日目は京都市内を自転車で爆走し本当に疲れた1日だった(こんなに自転車こいだの中学以来だな)

3日目は午後の新幹線で帰る予定だったので午前中清水寺に行った

清水寺

清水寺は伝承によると坂上田村麻呂が780年(宝亀11)、延鎮を開山として
東山の音羽山中に堂宇を建てたのが始まりといわれている
清水の舞台は徳川三代将軍家光が古式にのっとり再現したものである。
「清水の舞台から飛び降りる」という慣用句は、「思い切って決断する」ときや
「一か八か」の決断を強いられるときに用いる。

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↑ここからの眺めは最高である

清水の舞台は斜面の上に建てられ、139本の支柱に支えられている
ここから見る景色は本当に最高だった、この後清水寺の山門前の通りの坂でお土産を買った(自分はマジで八つ橋好きなので3箱買いました)
そしてまた、いつか京都に来ようと話ながら僕らは京都駅に向かった

やっぱり旅行に行って違う土地の文化に触れる事は良いことだと思う
特に京都には今回、紹介した場所以外にもたくさんのお寺や神社など歴史を色濃く残した場所が多いのでオススメである
今年は義経ブームなので京都で義経に関する場所を周って見るといいかもしれない

(posted by Yo-He-)
コメント
この記事へのコメント
京都ってさぁ、何であんないいのかな?俺もかなり好きだわ。
今度サークルにて行きましょうかぁぁぁぁぁ?
2005/07/01(Fri) 23:33 | URL  | イトウ #79D/WHSg[ 編集]
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