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[講演会特集] 未来は「今」の連続や! -近藤太香巳という男-
2005年10月18日 (火) | 編集 |
若者の心を 己の情熱でリードし続ける 近藤太香巳


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高校中退 夢も希望もない17歳の夏。 まわりの連中が頑張る姿を見るたびに、自分だけが世の中から置き去りにされていくように感じる。 そんな腐った自分にやりきれない日々を送る毎日。 そんな暗い青年時代を持つ近藤太香巳 今年37歳。


 その青年がこの社会という海原で、「情熱」という エンジンひとつで大海を駆け回り 社会を動かすほどにもなった。 熱い魂をもつ男 ネクシィーズ代表取締役社長 近藤太香巳 の情熱の歴史を紹介していこう。


記事:nagaman
暗い青年時代


1967年11月1日生まれ。

・近藤太香巳 17歳で高校中退。 未来が見えない青年であった。
・退学後 母に勧められて劇団入り。 自分のやりたいことが見つからず悶々とした日々を暮らす。

・そんな日々を打ち払うために 借金をしてCORSAを購入し峠レースへ参加。
・交通事故を起こし 納車17時間後で廃車。 残ったのは借金200万のみ。人生真っ暗。


・付き合っていた彼女の一生懸命働く姿を見て、腐った自分を律する。 


「なんか やらねば 本当にお終いや!」


・就職情報誌で 月収40万以上というのに魅かれ NTT関連のテレフォン会社に面接を受けに行く。 目的は借金返済と 新しい車を買うためだった。・ノーネクタイのまま 面接会場へ。
 
会社社長から「おまえの尊敬している人物は誰や?」との質問に


「トムソーヤです・・・」「冒険が好きだからです」と答える近藤。 結局 キャラを買われ 雇われる事になった。



・ダイヤル電話からプッシュ式電話に変えてもらう訪問販売の会社で 営業のイロハも知らず駆け回る毎日。当然ながら成績が悪く一件も契約が取れない日々を送った。

・上司から「辞めろ」の連発だったが、やる気だけを柱に仕事を続けていた。死に物狂いで仕事をするなか上司が希望の光をみせてくれる。

 軽々と契約を取る上司のアドバイスを基に「自分と何が違うか」考えた時、近藤青年の未来は見え始めていた


「営業は笑顔や!」


六ヶ月後・関西地区ナンバーワンの営業マンになる
※近藤氏の話によると、営業の時には常に右のポケットには欲しい車の写真を見て勇気をもらい、左のポケットには手鏡を持ち歩き 自分の笑顔を確認して契約に励んだと言う。


・給料は40万を超え、他社のヘッドハンティングのトップ対象になる。
・デート中でも住宅街を見つけると、営業に行ってしまうほどだった。
・上司が辞職したのを気に自問自答をする近藤。


「自分の道はどこにあるんや・・」


・近藤の活躍を耳にした父親に 会社設立を進言され、自分の道を探す為に腹を決める。
近藤太香巳 19歳 50万円で「日本電気通信」を創業。 


※近藤氏の話によると、「会社を創業するのは金じゃない。気持ちだ! 情熱だ!」と語っていました。 「でもこの時は 50万でも会社作れると思ってただけなんだけどね・・笑。」とお茶目な近藤社長。
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草創期 近藤太香巳 20歳 ―四国 高松―

・給料40万以上というコピーで就職情報誌に社員募集を募る。
・面接に来たのは ある意味で やんちゃな若者ばかり。

※近藤氏もさすがに「えええええ~汗」と思ったらしい。 話によると「こいつら面接の時 どついたろか!と常に思ってましたよ (笑)」と言っていた。


・仕方なく何人か採用するも、問題続出・無断欠勤・遅刻があたりまえだった。 さらに警察にお世話になる社員まで・・。近藤氏、社員の扱いに奮戦。


「どないせいっちゅうんじゃ・・コイツら・・」



・社員の扱い方に困りビジネス書を買い漁るも、自分の得たいものはそこにはなかった。

「あいつらは俺と同じや・・。やれた時の楽しささえしれば、自分に自信を持てるはずや」
自分の 熱い気持ちを伝えるほか 道がなかった。


・近藤太香巳、情熱をぶつける時が来た・・・。


おまえら 本当にこのままでええのか?

悔しくないんか?

そんないい加減なままで 本当に満足してるんか?




人生なめとったら ぶっ殺すぞ!

なにが髪の色が自由の象徴や!
そんなもんどこが自由や

そんなちんけなプライドにしがみついてなにが 楽しいんや!!

お前ら手を抜いて生きとるだけやろが!

自由ってもんは もっと 厳しくて でっかくて 
かっこいいモンや!



未来は「今」 「今」 「今」!


「今」の連続なんや!

 
「今」頑張らないと未来はないんや!!



お前らずっと そうやって本気になれないんか? 


俺はお前たちと一緒にをつかみたいんや・・・・・・。 



熱弁をふるう近藤氏。


・帰宅途中、言い過ぎて しまったと反省するなか、バイク交通違反で警察に呼び止められる。


点数残りわずか。 捕まれば 免停!


ノーヘルで警察から バイクで逃走! パトカーとカーチェイスへ。



その熱い気持ちを語った以後、社員はやる気を見せ始めた。近藤も彼らと夢について 夜遅くまで語り明かす日々が続くようになった。

それからというもの会社の業績も驚異的に伸び始めていくようになる。  1年後、近藤が創業した「日本電気通信」は、業界内で売上がトップに入るまでになる。同時期、全国で唯一 東芝ホームテレフォンを扱う代理店となった。


・しかし会社の成功が続くなか、近藤の頭の中には疑問が現れていた・・・。

「夢がかなうって こんなもんなんか・・・?」


会社をより 発展させることを常に考えていた。


1990年 2月
 「株式会社日本テレックス」を設立。月々2000円で電話が引ける加入システム「テルミーシステム」を発表。メディアは近藤を若き成功者として取り上げテレビ番組に出演するほどにもなった。
販売訪問が主体だった会社の営業形態は訪問から電話へ。


会社成功を収めるも、常に「もっと高みに」と心に刻む近藤。 これからの彼の活躍はどうなっていくのだろうか・・・?


1991年 7月
 NTTドコモ、IDOの携帯電話販売を開始。株式会社オリエントコーポレーションと提携し、携帯電話にもテルミーシステムを活用。

1994年 5月
東京上陸

ビートたけしのスーパージョッキーという番組の熱湯コマーシャルに出てテルミーシステムを宣伝する

1996 12月
株式会社ビクター並びに DDIポケットグループと提携し、「X-JAPANプレミアムPHS」を企画販売。

1997年 5月
 西武ライオンズと提携し、ライオンズロゴマーク入りPHSを企画。

1998年 8月 
 株式会社タカラと提携し、りかちゃんPHSを企画販売。

1999年 4月 
 CS放送受信機の無料レンタルを実現したデジタルクラブ入会サポート企画開始。

2000年 1月 
 「株式会社ネクステル」に社名変更。

2月
フェラーリ・イデア社とライセンス契約を締結。


※フェラーリ社から一通の手紙が近藤氏の手元に届いた。

我が伝統あるフェラーリは日本のパートナーとして、あなたを選んだ。誇りに思って欲しい。 フェラーリが選んだ男なのだから」と。


5月
 BS放送WOWOWの取り扱い開始。

6月
 ソフトバンク・インベストメント株式会社が資本参加。

12月
 社名を「株式会社ネクシィーズ」に変更

2001年 4月
 株式会社au(現・KDDI)と代理店業務委託契約を締結。

2002年 3月
 ナスダックジャパン(現・ヘラクレス)市場に上場

2003年 1月
 ヤフー株式会社と「らくらくヤフーBBサービス」を開始。

2004年 1月
 ヤフーJAPANと業務委託契約締結。

11月
 東京証券取引所1部へ上場が承認される


2005年 10月22日 帝京大学八王子キャンパス


近藤太香巳氏 講演会


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日時:平成17年10月22日 14:00~16:00
場所:帝京大学八王子キャンパス 1071教室(10号館7階)

費用:無料

予約(エントリー)した方に特典あり!!

主催:イベント企画サークル 多摩社楽DreamChasers
後援:株式会社ネクシィーズ
協賛:帝京大学経済学部環境ビジネス学科 大浦 宏邦助教授



近藤太香巳 講演会 ホームページへ飛ぶ


成功への過程は 講演会に参加して 直接 本人から聴いてみよう!



記事:nagaman 



資料 Dreams ~夢は大空へ、努力は足元へ~ 近藤太香巳 物語  ジャイブ編  
950円 +税
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